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1983 YMO ジャパンツアー : ミニ英和和英辞書
1983 YMO ジャパンツアー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

1983 YMO ジャパンツアー ( リダイレクト:1983 YMOジャパンツアー ) : ウィキペディア日本語版
1983 YMOジャパンツアー[ちょうおん]
1983 YMO ジャパンツアー1983 YMO JAPAN TOUR)とは、日本の音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が1983年に行った、最後の国内ツアーの名称。
==解説==

* 通称「散開ツアー」「散開コンサート」。
* 舞台演出は黒テント佐藤信、舞台美術は妹尾河童が担当。
* 荘厳かつ重厚、またファシズムを連想させるセット、ステージ衣装が特徴。この構想は佐藤によるものであり〔『YMO イエロー・マジック・オーケストラ』 アスペクト、2007年、219頁。〕、メンバーは関与していなかった。
* 曲によって、4人の外国人女性のダンサーが登場する。この演出に関しても、メンバーの意向とは無関係のところで決められた。
* 演奏ブースは可動式であり、坂本、細野のブース、高橋のボーカル・パーカッション・フレーズ用のブースは上下に可動、ドラムセット用ブースは前後に可動し、演奏曲によって変化していた。
* このツアーでは、事前に演奏したメロディをMTRで流し、メンバーは伴奏に徹するという手法をとった。メロディを収録したテープは坂本龍一によって制作された〔『YMO イエロー・マジック・オーケストラ』、222頁。〕。テープを使用するというアイデアはテクニカルアシスタンスの藤井丈司によるもの〔『昭和40年男』 2015年2月号、クレタパブリッシング、87頁。〕。
* ヴォーカルに専念したいと言う高橋幸宏の意向により〔『YMO イエロー・マジック・オーケストラ』、288頁。〕、自らのツアーに参加していたABCのドラマー、デヴィッド・パーマーがサポートに加わっている。
*: (実際に高橋がドラムを担当したのは「東風」「テクノポリス」「ライディーン」「ビハインド・ザ・マスク」「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」「ファイヤークラッカー」のみ。)
* 散開(解散)後、同ツアーを題材にした映画『A Y.M.O. FILM PROPAGANDA』が制作されている。
*: 詳細は『A Y.M.O. FILM PROPAGANDA』を参照。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1983 YMOジャパンツアー」の詳細全文を読む




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